強制力

昔、僕は京大OLCの強制力のなさというのは、自主性を鍛える意味で非常に良いと思っていました。
ここらへんは、京都大学の「自由の学風」にも共通している部分です。


・・でも、最近ちょっと考え方が変わってきました。
エンジョイ派に対しては今のままで全然良いと思うのですが、強制力がないことが、「オリエンテーリングを速くなりたい」と思う人を、逆に不完全燃焼に終わらせてしまい、後悔の念を抱かせてしまうことに繋がってしまうと思うんです。強制力によって、速くなるための「型」をみっちり仕込むことで、「やるだけのことはやった」という達成感を、勝っても負けても持つことが出来るように思います。

※余談ですが、実際、京都大学放任主義は、僕は本当に人材の浪費だと思っています。志も能力も非常に高い人たちが集まってくるというのに、まじめに勉強して優れた人材になって社会に出て行く人は一部だけ。これは日本国にとって大きな損失です。実際僕も6年大学に居てるのに工学部の勉強をまともにせずにコンサルになるわけで、非効率な話ですよね。


とはいえ、「強制力=しんどい」「強制力=サークルの良さがなくなる」という認識は根強く、なかなかそこを変えていくのは難しい。しかもそれをOBの立場から変化を促すというのはどうなんだという話です。

今の風土の中、「監督」として出来ることを模索するというのが、やっぱり一番現実的ですかね。