「希望」の枯渇

日経新聞の「大機小機」を読んだ。

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(略)
 一方で、若者を見れば世の中には「草食系男子」があふれ、そこそこの生活が目標で社長にはなりたくないと真顔で言う学生も多い。(中略)
 会社や社会のためと思って懸命に働き、幸運に恵まれてたとえ大企業のトップになったとしても、報酬はせいぜい数千万円を数年間得られるに過ぎない。成功者は一年で数十億円を得る可能性のある米国などと比べれば、失敗のリスクを負い健康や家庭生活を犠牲にし、仲間と競い合ってまで指導者になろうとする人材が育たないのも不思議ではない。(以下略)

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それは違う、と思う。

今の若い世代を覆うのは、金銭的なインセンティブに対する不満では決してない。

一人一人、感じ方は違うであろうから、世の空気を総括するのは傲慢でしかないと思うので、あくまでも僕個人が持つ感覚を述べる。

「そこそこの生活」を目標にしてしまう根本は、
「親世代が、あれだけ必死になって働いて、その結果がこれか」という呆れ心にある。

政治の混迷、経済の停滞、個人の悲壮感。
そして使い道もなく残された莫大な個人資産。

我々は豊かになって何を得たのだろう。



世の中は「希望」「生きがい」に飢えている。

しかし、もはや既存路線の延長上に新たな希望は生まれてこないように感じる。